これがまちあすの考える地方創生(6)

環境まちづくり支援機構(まちあす)の考える〝持続可能なまちづくり〟とは、どんなものなのか?
地域の魅力や活力を高めるためになにができるのか?
まちあすの思い描く地方創生の未来図を、ご説明します。

6.国内ワーキングホリデー

移住イメージの重さ

「地方移住」ということばも市民権を得てきました。
内閣府が2020年に実施したアンケートによれば、東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)に住む、20代から50代の人たちの49.8%が、「地方暮らしに関心がある」と答えています。
ふたりにひとりが、地方暮らしに関心を持っているということになります。
それでも、いざ移住するとなると、収入はもちろん、子供の教育や老後の医療・介護サービスなど、心配ごとは尽きません。これは、受け入れる側も同じで、どんな人が来るのか、どのように近所づきあいしていけばよいのかなど、不安が絶えないのです。
自治体が移住を主導するとなると、さらに、一気にハードルが高くなってしまいます。「なにかあったら責任取れるのか?」の決め台詞に対しては、自治体は対抗する術がありません。

国内版ワーキング・ホリデーという視点

まちあすが提案する「ライトな関係人口」は、イコール「国内版ワーキング・ホリデー」とも言い換えることができます。
ワーキング・ホリデー制度は、1980年に日本とオーストラリアの間で交わされた協定に始まり、今では30の国と地域に広がっています。
通常の海外旅行とは異なり、長期滞在が許されるビザが発行されます。そしてその期間は就学、旅行、就労などと、その国で生活することが許される制度です。
現地で語学の勉強をしながら働いたり、働きながら旅行したりと自由に生活することができます。
ワーキング・ホリデー制度を活用した渡航者数は、コロナ禍で一時減少しましたが、2023年は約1.8万人と以前の水準に戻りつつあります。
単にお金のために働くのではなく、海外の文化や慣習に慣れるためにも有効な制度です。ワーキング・ホリデー終了後も滞在を延長し、現地で就職する人も多く、海外に活躍の場を得るためのステップとしても活用されています。
このような視点に立つと、シニアが余生を静かに送るための「地方移住」ではなく、若者たちにとっても、自身の人生を再構築したり、次のステップを見つけるために、「国内版ワーキング・ホリデー」を活用するという意義が見出せるのではないでしょうか?
2017年から総務省でも、「ふるさとワーキングホリデー」として助成制度などを展開していますが、滞在先や働き先のマッチングなどが難しく、十分に活用されていません。

国内ワーホリ体験プログラム

国内版ワーキング・ホリデーを実施するためには、一時的な居住地の確保と、そのまちでの働き口を探す必要があります。
移住と同様に、住む家も働き口も自分で探すとなると大変です。
家の貸し手も「どんな人が住むのか」、「なにかあった場合は、退去してくれるのか」など、不安が先に立ちます。
こうしたハードルへの対応策として、東急不動産が運営する「地方創生拠点TENOHA(テノハ)」の活用ができれば、と、私たちは考えています。
TENOHAは、東急不動産が展開する「地域共生取り組み」の活動拠点です。地域交流スペース、コワーキングスペース、カフェスペースなどで構成された、地域に開かれた活動拠点施設となっています。
現在、能代(秋田県)、男鹿(秋田県)、東松山(埼玉県)、代官山(東京都)、蓼科(長野県)、松前(北海道)に設置されています。
2024年5月に開設された『TENOHA松前』には、宿泊機能も加わりました。
このTENOHAを、ワーキングスペースとして利用しながら、地域の人々と交流し、地域になじみ、まちとの相性を確認してみてはどうでしょうか?
このような「ワーホリ体験プログラム」があれば、都市から出かける側も、地方で受け入れる側も、心の重しが軽くなるのではないでしょうか?
TENOHAに、住まいや働き口などの情報が集まれば、地方創生拠点としてワンストップサービスの提供も可能になります。
既存建物を改修した活動拠点(TENOHA 男鹿)
既存建物を改修した活動拠点(TENOHA 男鹿)
地域の人々の交流スペース(TENOHA 能代)
地域の人々の交流スペース(TENOHA 能代)

ワープステイの提案

大川陸治氏(元・東急不動産株式会社 常務取締役)が発案した「ワープステイ」(=住民票を移し、一定期間都会から地方という異空間に居住した後、元の住居に戻る)は、定年退職したシニアの新しいライフスタイルとして注目を集めました。
「都心への通勤を重視して現役時代に購入した都市近郊の自宅を、退職後に5年から10年程度の定期借家で若い家族に貸し出し、地方の借家に移り住む」という、「お試し移住」です。
たとえば最初の5年間は山間部で暮らし、次の5年間は漁村に住んでみるということも可能です。
シニアの場合でも、地方移住での大きなハードルは、地方の風土や住民たちとの相性です。
これは、受け入れる側にとっても同様です。これが「お試し移住」であれば、少しハードルが下がるのではないでしょうか?
大川氏は『地方創生はアクティブシニアのワープステイ〔里山留学〕からはじまる!』(NPO法人ワープステイ推進協議会 住宅新報社)のなかで、次のように述べています。
「体力のある年金受給者(前期高齢者=約1600万人)が、地方の深刻な過疎化対策に積極的に取り組み、地方に数年間定住して消費需要を復活させることが重要である。そのためにはハードルの高い〝永住〟というより、元気な間の5年間だけでも地方に定住し、農林漁業などのお手伝いをする。つまり、情報と機動力を持った都会の人間が地方に新風を吹き込み、コミュニティにも限定的・部分的に参画していくことが重要である。ワープステイする本人も、おいしい水や空気のもと、規則正しい食事、適度な運動、コミュニティ活動をすることによって、会社人間から地域コミュニティ人間へ脱皮することも可能になり、健康寿命も延びる。」
人生100年時代を生きるための、「人生のサブシステム」が有益なのです。
人生100年時代では、定年後の数十年間、いかに充実した人生を過ごすかが重要です。ずっと家に、こもってしまってはもったいない。ずっと旅行をし続けるわけにもいきません。
ワープステイをしたうえで、地方で農業などの生業にトライしてはどうでしょうか? 
家庭菜園の延長のような農園でも良いですし、あるいは数頭の牧畜業もいいかもしれません。
「家賃格差」によるゆとりと、退職金や年金などがあれば、あくせく稼ぐ必要もありません。
最近では、リモートワークで都会の仕事も手伝う「半農半IT生活」も可能になっています。
会社人間として生きてきた定年シニアにとって、都心への通勤を前提にしたマイホームで暮らし続けるよりも、心機一転、ワープステイで「お試し移住」に乗り出すほうが、健康的でゆとりと生きがいのある生活を獲得できるのではないでしょうか?
東京郊外の自宅を定期借家化するしくみと、地方の借家をマッチングできる事業者が現れると、ワープステイは地方創生のプラットフォームになります。
シニアのお試し移住という「人生のサブシステム」のニーズと、地方創生とを両立させる方法として「ワープステイ」は非常に有効だといえます。

企業の選択肢としての体験ステイ

神山町の奇跡をご存じでしょうか?
地方創生のロールモデルとして度々取り上げられているのが、徳島県の神山町です。
神山町は、徳島市街から車で1時間余りの山間部にあり、標高1000m級の山々に囲まれた、清流の流れる、のどかな田舎町です。
1955年に5つの村が合併し、人口2万人の町としてスタートしましたが、年々人口が減り続け、90年代には1万人を割りこむ状況になっていました。
この地域で、地元出身で米国スタンフォード大学院修了の経歴を持つ大南信也氏(NPO法人グリーンバレー理事)が地域再生活動を開始した結果、2005年には、いち早く町内全域に光ファイバーが敷設されました。

IT企業Sansanのサテライトオフィスの進出を皮切りにして、16社が拠点を置くようになりました。Sansanは、この取り組みが評価され、2012年に、「第12回テレワーク推進賞・優秀賞」を受賞しています。古民家を改修した企業のサテライトオフィスの他、お試し活用が可能な共同オフィスや、3Dプリンターやレーザーカッターを備えたファブラボなどが整備されています。さらにSansanのCEOである寺田親弘氏を中心にして「神山まるごと高専」という高等専門学校を設立し、若いIT人材の育成にも乗り出すという、理想的な地方創生ストーリーです。
神山町のケースは、外の世界を知り、ネットワークを持つ地元出身のキーマンの前向きな活動が、賛同者を増やし、周囲を巻き込み、見ごとにブランディングできた事例です。
徳島県はさらに、官民連携でテレワーク環境の充実を図り、神山町だけでなく西阿波地域やサーフィンで有名な美波町などが、地域の特徴を活かしてサテライトオフィスの誘致に成功し、徳島県全域では、約100社の企業が進出するまでになっています。

企業のふるさと戦略

地方創生では、国も民間企業の地方移転を支援しています。
東京23区から本社機能の一部(研究所・研修所を含む)または全部を移転する場合などに、設備投資減税(オフィス減税)や雇用促進税制などの優遇措置を受けられるというものです。
しかし東京圏の強い求心力を考えると、この程度の支援策では移転の実効性は低いと言わざるを得ません。
私たちは、本社という中心拠点ではなく、企業の人材育成や福利厚生などの「サブシステム」として地方移転を検討することが有効だと考えます。

和歌山県では、農山村の景観保全、祭りへの参加や社内販売による地域農産物の買い支えなど、幅広い活動を通じて過疎集落を応援する企業と、希望する過疎集落をマッチングする「企業のふるさと」制度が創設されています。すでに「伊藤忠商事&かつらぎ町 天野の里づくりの会」、「イセキ農機&くにぎ広場・農産物直売交流施設組合」、「山崎製パン&麻生津の将来を考える会」などのマッチング例があります。
 鳥取県が提唱する「週一副社長」も、新しい副業スタイルとして、注目されています。都市部で本業を持ちながら、鳥取県内の地方企業で、週一回だけ副業や兼業を前提に、ビジネス経験を活かして地方活性化に貢献してもらうという試みです。ユニークなネーミングが評判を呼び、5年間で県内企業526社が、延べ831名の人材を採用しています。

このようにメインとしての経済活動の拠点は東京に置きながら、大都会のストレスフルなワークスタイルに対し、働くモチベーションや生産性を高めるサブシステムとして、地方創生を考えることが有効だと、私たちは考えます。企業のふるさと戦略による地方創生です。

「島留学」という発想

「子育てステイ」としての地方創生の事例では、島根県の海士(あま)町の「島留学」があります。
これはNHKの「新プロジェクトX」でも取り上げられました。
離島の海士町では、本土よりも早いペースで人口減少が続いていました。海士町の県立隠岐島前高校でも生徒が減少の一途をたどり、2008年度の生徒数は全校で89人しかいませんでした。このままでは廃校になってしまう、と危機感を抱き、そこで始まったのが「隠岐島前教育魅力化プロジェクト」です。
海士町は、全国の高校生を対象にした「島留学制度」を創りました。
「島まるごと学校。島民みんなが先生」のキャッチコピーのもと、島留学生には、ひとりずつ「島親さん」と呼ばれる島民がついて、島の生活になじむサポートをします。
夕飯に呼ばれたり、夏祭りに一緒に行ったりするなかで、島留学生たちは地域の人たちとつながっていきます。今では隠岐島前高校の生徒数は160人を超え、かつての2倍近くに増えています。

さらに2020年からは、全国の若者が活用できる「大人の島留学」も始まりました。
(1)3か月の滞在型のインターンシップ制度の「島体験」
(2)プロジェクトに就労しながら、1年間お試し移住できる「大人の島留学」
(3)複数の仕事を体験しながら新しい島の働き方を探究する「複業島留学」
などの多彩なメニューが準備されています。

これらの制度を含め移住施策に取り組んだ結果、海士町のこの数年の人口は、安定して推移しています。
離島留学という発想は全国に広がり、2017年には、全国の留学先を案内する「地域みらい留学」という取り組みが生まれ、全国で100校以上が参加しています。

教育のサブシステム

近年、インターナショナルスクールなどの設立により、教育移住が活発になっている軽井沢の事例に見られるように、偏差値志向の受験制度に、不安と疑問を抱く保護者の受け皿となる学校も増えています。
未来を見通すことが難しいこれからの時代には、多様な体験を通して培う未来を自分の手で創っていける人材が求められています。大学入試も主体性や協働性、探究性が問われるものに代わろうとしています。
意識が高く、社会の変化に敏感な保護者にとって「高校3年間を自然豊かな地方で過ごして、これからの社会を力強く生き抜く力を育む」方法として、教育のサブシステムが有効と認識されるのではないでしょうか?
人は成長を実感した時期を過ごした場所こそ、「ふるさと」として記憶するといわれます。
こうして生まれる「新しいふるさと」は、本人にとって、その後の活動拠点のひとつとして、常に心に残る場所になるのだと思います。
最も多感で、成長著しい10代を地方で過ごした人々は、その地方の学校の卒業生として、まちの貴重な関係人口になるのです。
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